燦々

apple music、すごく便利で好きなんやけど、やっぱり本当に良いと思ったものは形で手にしたい。

カネコアヤノの新作、先行配信の曲聴いて買うのを決めた。一曲一曲発表される度にドキドキする感じ、高校生みたいだ。音楽をやっていないのに、こんな曲を作るカネコアヤノに嫉妬する。なんなんだおれは

萩原朔太郎 / 死なない蛸

 

 

 或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。
 だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
 けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
 かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。
 或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた潮水(しほみづ)と、なよなよした海草とが動いてゐた。そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。

 けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい缺乏と不滿をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。

 

 

 

 

高校時代、なにも分からんおれがなにも分からんなりにグサっときた朔太郎

 

 

 

家族のことは、冷静にみることができない。それについて考えようとすると、どうしても先に感情的な部分が飛び出してしまう。良い悪いでは切り分けられない、複雑な感情が何重にもなって渦巻いている。

弟が父さんに怒られた。それはもうこっぴどく怒られたらしい。塾が終わって家に帰ると、母さんが近寄ってきてその話をしてくれた。

話がしたくて、夜弟を呼び出して近くのラーメン屋に行った。ここ数年、どうかしたのかというくらい弟は話さなくなった。あんまり話さないものだから、感情がなくなってしまったのかと思っていた。席を並べて、瓶ビールを2人で分ける。ご飯を食べながら、いくつか話を投げかける。弟はそれに答える。そのあまりにかんたんなやり取りにさえ、ぼくは妙な達成感を感じていた。

弟は昔のまんまだった。無邪気な顔でぼくに寄ってくる、昔の弟となんの変わりもなかった。この頃、家族は弟が心を閉ざしているように感じていたが、ほんとうは心を閉ざしていたのはこっちの方だったのかもしれない。急に、謝りたい気持ちで胸がいっぱいになった。

ラーメン屋のテレビから、探偵ナイトスクープが流れていた。ぼくはテレビの方に視線をやったが、心の中はその向こうのどこか遠くの方にいっていた。あぁほんとうに、少しのきっかけで何かが変わるなら、全力でそこに力を向けていきたい。ぼくにはたった一人の弟がいる。そしてその弟と、昔のように話をしている。そのことがやけに嬉しく思えて、スタミナ丼を食べながら涙が止まらなかった。

 

 

 

宮沢賢治 / 告別

 

 

おまへのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい

その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう


泰西著名の楽人たちが
幼齢 弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管くわんとをとった

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ


すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない

なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ


もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

 

 

 

 

 

 

征矢泰子 / 息子に

 

 

 

かくも容赦なくのっぴきならずひとであることの

あけてもくれてもひとでありつづけることの

そのむごたらしさのまんなかをこそ

おまえは生きよまっすぐに

 

おまえはねがうな野の花のやすらかさを

ひたすらにあるがままに身をゆだねてつつましく

みちたりてもだえないことをうらやむな

おまえはいつもうえつづけほしがりつづけ

みちたりなさのなかでめぐりあいに生きよ

 

おまえは閉ざすな

窓という窓戸口という戸口を

そこからとびこんでくる一切のものにめぐりあえるように

小さな一匹のコガネムシとさえ

おまえはめぐりあえ こころのありったけで

 

汚辱や悪意不運や挫折をこわがるな

めぐりあいのなかでおののきながら

こころは深くなり大きくなるのだ

 

ああ おまえは生きよ

かくも苛烈なひとのよにおまえをうんだ

わたしのうしろめたさをふみしだいて

ひとであることのまがまがしさをつきぬけて

しんそこいのちのいとおしさにたどりつける日まで

 

 

 

 

 

 

 

まど・みちお / れんしゅう

 

 

 

きょうも死を見送っている
生まれては立ち去っていく今日の死を
自転公転をつづけるこの地球上の
すべての生き物が 生まれたばかりの
今日の死を毎日見送りつづけている

 

なぜなのだろう
「今日」の「死」という
とりかえしのつかない大事がまるで
なんでもない「当たり前事」のように毎日
毎日くりかえされるのは

 

つまりそれは

ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に
あわてふためかないようにと あの
やさしい天がそのれんしゅうをつづけて
くださっているのだと気づかぬバカは
まあ この世にはいないだろうということか

 

 

 

 

 

 

 

自分の好きな詩を、メモがてらここに記していくことにする。きっとなにかの役に立つ。

 

 

散文・波

 

もうすぐクリスマスだというのに、まったく特有の高揚感を感じない。何歳からか忘れたが、おれの中のクリスマスは死んでいる。

 

枕カバー、そろそろ変えたい。芳醇な香り、鼻に付いて寝づらい。

 

タバコをやめた。急性腎盂腎炎で体を壊してから、健康を意識するようになった。自分で死期を早めるなんて、ばかげたことはやめようと思う。長く生きて、やりたいことが沢山あるのだ。

 

もうすぐ24才になるけど、未だに一番大切なものは愛だと思っている。人に聞かれても、即答する。聞かれなくても、無理やり聞かせる。

 

背中一面に「2016」というタトゥーを入れる予定だ。一番後悔するタトゥーは何か、暇さえあれば考えている。

 

ここ最近、自覚はしていたが運動不足だ。とりあえず筋トレから再開して健康的な体づくりに励みたい。まだもう少し頑張れる気がする。

 

やはり落ち込んだ時に書く文章には、気持ちがこもりやすいのかもしれない。すっかり全開してしまったが、腎盂腎炎になった時に書いた日記がとても気に入っている。毎日元気で、悩みなく生活している人間には文学は必要ないのだと思う。